大切にすべき人を大切にする。

簡単なようで、なかなか難しい。

そもそも大切にすべき存在って、誰を指すのか?

私はよく間違ってきたように思う。


最近、大切に想う人たちとの間で、
縁をバージョンUPさせる喜ばしい出来事が続いている。

時を経て、自分とその相手の関係性に突破口となるような出来事が生じ、
拡がる、
深まる、
進化する、
更なる新しい方向性が見えてくる、
というような感じ。

想定外に起こることなので、
驚きに満ちていて、
「出来事」の渦中にいる間は余裕がなくて、
嵐が過ぎ去ってから、
有難い変化が起きている事に気付き、
喜びと感謝で胸がいっぱいになる。

GW前から、そんな有難い日々が続いて、
大事にすべきものが何か、少しわかった気がする。



自分が信じられる人。
自分を信じてくれる人。

頼ってしまう人。
頼られたら精一杯こたえたいと思う人。

そんな存在のために、がんばってゆきたいと
改めて思いました。


筆談ホステスに学ぶhospitality
銀座は正に冬の時代。

そんな時代にも左右されない、正真正銘のNo.1ホステスが本を出したそうだ。

なんと、彼女は障害者で、耳が聞こえない。

通常の会話ができない為、接客は筆談で行うという。

        ↓↓↓

「銀座のNo.1 筆談ホステス」の記事
http://media.yucasee.jp/posts/index/1407/1


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~いつもとは違う形で満たされたい~



~不慣れな刺激が巻き起こす変化や

~変化から生じる新鮮な心の揺らぎは

~深い癒しそのものなんだろうなぁ。

この記事を読んで、率直にそう思った。



私が子供の頃、まだ手紙の習慣が当たり前にあって、
私は離れて暮らす父に、よく手紙を書いた。



手紙を送ってから返事が届くまでの時間は、
わくわくして、相手がどんな顔をするだろうと、喜んでくれるかなと、
どんな返事が来るかなと、
思いをはせる幸せな時間で、
手紙が届くと嬉しくて、頬が熱くなった。


もう今の時代に、その感覚=間隔は必要ないのだろうか


最近は書いていないけれど、
未だに父とのコミュニケーションは、手紙がいちばんうまく行くように思う。

少々立派なことや、照れくさいことも書けるし、
電話ではごまかしきれない淋しさも、怒りも隠しておけるから。




当時は、

電話は急ぎの用があるときに、

手紙は思いがあるときに、

そういう使い分けがなんとなくあったような気がする。


今日11月17日がお誕生日の友人Y-man.

以前レスが遅すぎると、彼から私を責められたことがあった。

あくまで友人の関係であっても、
極論を言うと相手が男性でも女性でも、
メールを送ってからレスが来るまでの「一時」、
異常に淋しさを感じてしまうという。

淋しい時間が積もり、ついつい責めたくなるらしい。


携帯に出てくれないと疑いたくなること、私にもある。



電波はすぐに届いてしまうから、
物理的な距離がもともと感じられなくて、
「一時」が距離を拡げてる気がする。

分離のプロセスとして感じられてしまう。



~時差は風流

~時差がない障害、ストレス


頭ではいつもどおりを望んでいるつもりでも、

想定外で不足感を与えてくれる刺激を

欲しがる心がきっと誰にもあると思う。



もちろんこのホステスさんは、「筆談だからNo.1」ではない。

筆談は障害ではなく、
いわばキャラであり魅力として機能していて、
楽しみ方の提案としては最高のアプローチとなっている。

けれど、その奥にある彼女の心意気が素晴らしくなくては、
その上に更に日々の努力と心配りを重ねずして
なしえないことだろうと、私は思う。


だからこそ、彼女の記事を読んで、

そんな逆説的な愛の伝え方を敢えてする方が、
これからは効果的なのかも知れないな・・・。

と、ふと思った。。。



~物理的な距離をまず設けることで、距離が近づくプロセスを感じる。

~思いはためることで、重みを増す。

~物理的な距離を置くところから始めることで、

~心の距離感も近づいていく。








Y-man☆お誕生日おめでとう☆