行為と義務~『バガヴァド・ギーター』より~
2009年10月14日 Yogahttp://www.yoga-gene.com/contents/philosophy/geeta.html
インドの哲学宗教詩『バガヴァド・ギーター』の、行為と義務について書かれた部分をまとめてみました。実生活に結びつけやすい部分のみを選んで、簡単な言葉にしました。バガヴァド・ギーターの解説書、ギーター・サールを参考にしています。
生きて行く中で、それぞれの人間が、家族、社会、自分自身に対し、仕事を与えられている。それらの定められた仕事をし続けてこそ、人は、人生の目標に向かって進んで行くことができる。修業とは、家庭や社会を捨てて、森にこもることだけをさすのではない。社会に属しつつ実生活の諸問題に立ち向かい、それを考察し、解決してこそ、人は自己を向上させることができる。
人の関心は、多くの場合、仕事自体ではなくその成果に向きがちである。仕事をしてもその成果を受け取ることを期待してはならない。
常に仕事の成果を危惧している人は、仕事自体に喜びを見いだすことができない。仕事の成果をあてにせずに働くとき、仕事をすることそのものの喜びを得られる。
成果を望み、執着すれば、それに束縛される。執着なく、成果への期待をせずに行えば、その人は自由である。執着なく働きながら、人は、人生の最高の目標、神としての存在に達することが可能である。
/事を神への捧げものとして行うことにより、私たちは平安を得ることができるという。もし、真に神への捧げものとして行うならば、成果に期待することもなく常に平安でいられる。心は浄化され、また、どのような罪を犯すこともない。
自分の内部に揺るがない満足を得れば、誰にも何にも期待しなくなる。外界に対しての利己的な感情による働きかけも必要ない。そのような人は、なんの利己心もなく、常に他人の幸せのために尽くすことができる。そして、心とエゴが鎮められた結果、自分の全ての働きは実はある巨大な力によってなされていると知る。
誰によってなされた仕事であっても、全く欠陥がなく完璧なものは存在しない。どんな仕事にもそこには何らかの欠点が残る。人は、自分の現在の状態に適した仕事を、誠実に、現在持っている能力を十分に発揮して行えばそれで良いのである。
他人の人生を上手に生きるより、自分の人生を下手に生きた方が良い。つまり、自分の歩む道に何らかの欠点や困難があろうとも、己の道を進むことは他人の歩む道を真似してそれをそつなくこなすよりも、勝っている。人はしばしば他人と自分を比較し、他人をうらやんだり、真似をしたいと思う。社会に広がる流行に影響され、自分が本当に進むべき道を見失いがちになる。私たちは、自分の性格や資質を知り、誠実さをもって、自分の道を歩むことが大切である。
インドの哲学宗教詩『バガヴァド・ギーター』の、行為と義務について書かれた部分をまとめてみました。実生活に結びつけやすい部分のみを選んで、簡単な言葉にしました。バガヴァド・ギーターの解説書、ギーター・サールを参考にしています。
生きて行く中で、それぞれの人間が、家族、社会、自分自身に対し、仕事を与えられている。それらの定められた仕事をし続けてこそ、人は、人生の目標に向かって進んで行くことができる。修業とは、家庭や社会を捨てて、森にこもることだけをさすのではない。社会に属しつつ実生活の諸問題に立ち向かい、それを考察し、解決してこそ、人は自己を向上させることができる。
人の関心は、多くの場合、仕事自体ではなくその成果に向きがちである。仕事をしてもその成果を受け取ることを期待してはならない。
常に仕事の成果を危惧している人は、仕事自体に喜びを見いだすことができない。仕事の成果をあてにせずに働くとき、仕事をすることそのものの喜びを得られる。
成果を望み、執着すれば、それに束縛される。執着なく、成果への期待をせずに行えば、その人は自由である。執着なく働きながら、人は、人生の最高の目標、神としての存在に達することが可能である。
/事を神への捧げものとして行うことにより、私たちは平安を得ることができるという。もし、真に神への捧げものとして行うならば、成果に期待することもなく常に平安でいられる。心は浄化され、また、どのような罪を犯すこともない。
自分の内部に揺るがない満足を得れば、誰にも何にも期待しなくなる。外界に対しての利己的な感情による働きかけも必要ない。そのような人は、なんの利己心もなく、常に他人の幸せのために尽くすことができる。そして、心とエゴが鎮められた結果、自分の全ての働きは実はある巨大な力によってなされていると知る。
誰によってなされた仕事であっても、全く欠陥がなく完璧なものは存在しない。どんな仕事にもそこには何らかの欠点が残る。人は、自分の現在の状態に適した仕事を、誠実に、現在持っている能力を十分に発揮して行えばそれで良いのである。
他人の人生を上手に生きるより、自分の人生を下手に生きた方が良い。つまり、自分の歩む道に何らかの欠点や困難があろうとも、己の道を進むことは他人の歩む道を真似してそれをそつなくこなすよりも、勝っている。人はしばしば他人と自分を比較し、他人をうらやんだり、真似をしたいと思う。社会に広がる流行に影響され、自分が本当に進むべき道を見失いがちになる。私たちは、自分の性格や資質を知り、誠実さをもって、自分の道を歩むことが大切である。
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